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#28 北海道命名の地 筬島駅(音威子府村・宗谷線)

無人駅めぐり

「北海道」という名前は松浦武四郎が発案したものですが、その「北海道」という名前を思いついたのは、この筬島(おさしま)付近のアイヌから聞いた言葉がきっかけだったようです。詳しくはこちらを参照ください。

実際に筬島駅から天塩川を挟んで反対側には、「北海道命名の地の碑」が立っています。本当に大自然の中であり、ここ筬島駅も非常に静かな場所です。主要道路の国道40号は天塩川の反対側。車の音も聞こえません。

稚内行き普通列車で、筬島駅に到着しました。次の下り列車は8時間後です。

この日は雨が降っていました。駅には雨の音だけが響き、雨の匂いが漂います。周囲は一面緑の世界で、さまざまな種類の緑色が風景に奥行きを与えています。また木々や草花も雨に濡れ、いっそうフレッシュな色合いになっているように感じられました。

駅名標のフレームは時代を感じさせます。

駅舎は北海道内でよく見られる、貨車を改造したものです。宗谷線内の貨車改造の駅舎には外壁が酷い状態のものも多かったですが、ここ筬島駅は例外。外壁が綺麗にリニューアルされ、近代的な外観になっています。

この大自然の雰囲気で綺麗な駅舎というと、一見似合わなそうな気がするのですが、筬島駅の駅舎は見事なまでに風景と調和しています。山々に囲まれたスタイリッシュな駅舎が、とても映えます。

駅正面です。洗練されたデザインの駅舎は駅としての風格を醸し出します。ここに止まる列車は一日上下3本ずつ。そして1日の利用客数は0.0人。それでも駅としての誇りを決して忘れていない、貫禄ある姿に見えます。

だってここは正真正銘のJRの駅。「JR」のマークが誇らしげです。

駅舎の中もとても綺麗に保たれていました。青緑色の壁は、他の駅ではなかなか見ないものです。爽やかさと個性があって非常に好感が持てます。

蛇に注意という張り紙が貼られていました。蛇よりももっと危ないものが出そうですけどね。ちなみに熊出没注意は宗谷線内の多くの無人駅に貼られています。

とってもシンプルな時刻表です。

類に漏れず、この駅にもかつては大きな木造駅舎が建っていたことが、現在も残る旧駅舎の基礎から読み取れます。

ホームには赤い花が植えられており、風景に彩りを添えます。

駅前に出てみることにしましょう。降りしきる雨は止む気配もありません。

正面に見えるのが筬島駅です。本当に令和なのか?と思わず呟いてしまいそうになります。

木造の建物が点在する駅前に、大きめの赤い屋根の建物があります。これがかつての筬島小学校の建物です。そして現在は砂澤ビッキ記念館として、彫刻家・砂澤ビッキの作品が展示されています。砂澤ビッキは、晩年ここ旧筬島小学校の建物をアトリエに改装し、ここで作品づくりに励んでいました。ビッキがここにアトリエを構えることにした理由は、この大自然だったようです。自然の美しさと厳しさ、そして息遣いが感じられるこの場所は、芸術家にとって作品制作に没頭できるうってつけの場所だったのでしょう。

砂澤ビッキ記念館の詳細は以下の記事をご覧ください。

(以上2022年7月訪問時)

筬島駅・2021年

雪に閉ざされた冬の筬島駅。夏でも人の気配がほとんどない駅ですが、冬はなおさらです。当然冬季は近くにある「砂澤ビッキ記念館」も休館。外界から閉ざされた場所のようになります。

駅舎の上に積もる雪が、帽子のようになっていました。

山々に囲まれながらも開放感がある筬島駅の雰囲気は思わず降りてみたくなってしまいますが、夏はまだしも、冬季は道内でも屈指の下車に覚悟を必要とする駅になります。

筬島駅・2019年

相変わらずいい雰囲気です。

夏の宗谷線は、窓を開けて風をいっぱいに浴びながら走るのが、本当に気持ちがいいんですよね。これぞ汽車旅、という感じです。

霧の中の筬島駅というのも、なかなかいいものです。

筬島駅・2013年 夏

そっと佇む小さな駅。雰囲気は変わっていません。宗谷線の駅は虫がやたらと多いですが、ここ筬島はそうでもなく、非常に居心地の良い駅でした。

ホームの雰囲気も変わりません。

変わっているのはこれでしょう。2013年当時は、駅の近くに昔の駅名標が残っていました。いったいなぜここに駅名標が立っているのか、いつ頃使われていたものなのかなどはわかりません。ただ、隣駅表示は現在の「さく」(佐久駅)ではなく「かみじ」(神路駅)。神路駅が廃止され、神路信号場となったのが1977年のこと。つまりそれほど昔のものなのでしょう。神路信号場も、1985年に廃止され、神路駅跡は現在はほとんど自然に還っているようです。

ちなみに神路駅周辺は、一般的な道路からのアクセスはできず、鉄道のみでアクセス可能な地域でした。そのため住んでいたのは鉄道職員がほとんどであったようです。しかし1963年、天塩川に「神路大橋」が架橋されたことにより、駅と天塩川を挟んで反対側にある国道40号との行き来が可能に。陸の孤島であった神路地区に国道からアクセスできるようになったことで、神路地区の発展に期待がかかりました。しかし橋ができてからわずか数ヶ月で、その神路大橋はすぐに落橋してしまうのです。過酷な暴風雪が原因でした。

それをきっかけに神路地区からは住民が撤退し始め、1967年には無人地帯となりました。しかし誰も人が住まない場所になった後も、1977年までは駅として残っていたのですから、これも驚きです。

当然のことながら、現在一般の人が神路地区に近づくことはできません。

筬島駅・2013年 春

雪の中の筬島駅。駅があるとは思えないロケーションですが、列車は律儀にとまります。正面の三角の山が筬島駅の目印のようになっています。

やはり自然の厳しさと美しさが感じられる駅です。砂澤ビッキがこの地を選んだ理由も、少しずつわかってくるでしょう。

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