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[8時間の鈍行列車]根室線普通列車2429D乗車記

鉄道・航空・バス

滝川発、釧路行き普通列車。列車番号は2429D。一見何の変哲もない普通列車に見えますが・・・

2013年当時、普通列車2429Dの滝川発は9時37分、終点の釧路到着は17時39分。実に始発から終着まで308.4kmを8時間もかけて走る普通列車だったのです。これは日本一運行距離・運行時間の長い定期普通列車でした。

その後、2016年には列車番号を2427Dに変えながらも滝川〜釧路間を毎日走っていましたが、同年8月、途中の東鹿越〜新得間の線路が台風で被災すると、この列車は事実上運行できなくなりました。さらには被災区間を含む富良野〜新得間の廃線が決まったため、もう2度と「滝川発釧路行き普通列車」は見られないことになってしまいました。

滝川から釧路まで8時間。一体どんな行程だったのか、2013年3月の乗車記をお届けします。

滝川駅を出発

朝の滝川(たきかわ)駅にやってきました。ここが釧路行き普通列車の始発駅です。

「旭山動物園号」と「スーパーカムイ号」の間に表示されている「普通 釧路行き」。一番目立たないように見えますが、一番長い時間走り、そして一番遠くに行く便です。北海道のスケールを知っていると、この「釧路」がどれほど遠い場所かわかりますよね。

滝川駅は、根室線の起点です。

ホームにはたった1両のキハ40がとまっていました。これが釧路行き普通列車のようです。それにしてもこの列車、親切にも「日本一長い距離を走る定期普通列車(2429D)」とわざわざ表示してくれています。

記念撮影する人も多いのでしょう。

そして定刻の9時37分、列車は滝川駅を発車します。

北海道のお茶「うらら」を持ち、いよいよ釧路まで8時間の長旅が始まります。列車は石狩平野を走り抜けていきます。さて、どんな8時間になるのでしょうか。

炭鉱で栄えた町を抜ける

9時45分、1駅進んで東滝川駅に到着です。ここで対向列車待ち合わせのため5分停車。たった1駅、8分しか乗っていないのに、いきなり5分の休憩。列車の外に出ることはせず、じっと発車を待ちます。

9時57分、赤平(あかびら)駅に到着。かつて炭鉱で栄えたこの町も、石炭産業がなくなると急速に人口が減少しました。赤平「市」であるにも関わらず、その人口は乗車当時(2013年)で1万人ほど。2023年現在では8700人ほどの人口になっています。赤平駅は、現在は簡易委託の無人駅ですが、2013年乗車当時はまだ駅員さんがいる有人駅でした。立派な駅舎です。

赤平を出ると見えてきたのは、国道38号線。この列車と同じく、滝川と釧路を結ぶ国道です。これから釧路まで、国道38号と並走する区間も割と多くあります。

芦別(あしべつ)駅は10時15分の発車です。風格のある木造駅舎が出迎えてくれます。滝川〜富良野間では、ここ芦別が最も大きな駅で、乗降客数も多くなっています。しかしここもかつては石炭産業でもっともっと栄えていました。芦別「市」なのに、人口は2013年当時で1万5000人ほど。やはり衰退は否めません。空知地方は、かつて炭鉱で栄えた町が本当に多いですね。

空知川はこれまで国道の向こう側に見えていましたが、この付近では国道と線路の位置関係が逆転し、線路が空知川のすぐ隣を走ります。

富良野駅からさらに南下

富良野駅到着は10時48分です。そして発車が11時06分。ここでは18分間停車します。この間に、今まで1両で走ってきたこの列車に、もう1両連結され、ここ富良野からは2両編成で釧路へ向かうことになります。

無事に連結作業が終了し、2両編成となって発車を待ちます。しかしここ富良野の18分は貴重な18分。駅弁の類は売られていなく、駅構内にコンビニもありませんが、ちょっとした軽食や飲み物の買い出しには行く必要があるでしょう。なんていったって、まだ全行程の4分の1も進んでいません。

富良野を出発します。富良野で2両編成に増結されたものの、富良野から乗ってくるお客さんはほとんどいませんでした。

列車は雪で覆われた田園地帯を南下していきます。

山部(やまべ)駅到着は11時21分。無人駅ですが、周辺はしっかりした町になっており、比較的利用の多い駅です。この列車からも地元の方の降車がありました。またここで対向列車と行き合ったようです。

2両になったこともあり、車内はかなり空いていました。

11時52分、かなやま湖のほとりにある、東鹿越(ひがししかごえ)駅に到着です。一日の利用客数がほとんどいない閑散駅です。この辺りはむかし、石灰石が取れたようです。

11時57分、映画「鉄道員(ぽっぽや)」のロケ地として知られる幾寅(いくとら)駅に到着です。映画の中では高倉健さんが、この駅の駅長を演じていました。もちろん映画の中では「幾寅駅」ではなく、「幌舞(ほろまい)駅」という名前になっています。

狩勝峠

狩勝峠(かりかちとうげ)の手前に位置する山間の駅、落合(おちあい)駅到着は12時09分です。

落合駅の発車時刻は12時21分。対向列車行き合いのため12分停車します。せっかくなので、山の澄んだ空気を吸いにホームへ。先ほどまでは曇り空でしたが、なんだか青空が見えてきましたね。

ここは狩勝峠に挑む前線基地のような駅です。ここからは急勾配になるため、かつてはここで機関車が待機し、通常の機関車に加え、峠越え用の機関車を連結してから狩勝峠に挑んでいました。広い駅構内は、そんな時代の名残です。この駅に長時間停車する、というのも普通のことだったはずです。2429D釧路行きは、この静かな駅に10分以上とまり、そんな時代を教えてくれるかのようです。

反対方向からの列車がやってきて、この駅ですれ違います。落合駅の広い敷地が、狩勝峠の厳しさを物語ります。

峠の麓の駅にふさわしい、味のある駅舎です。

これから越える狩勝峠は、かつて蒸気機関車の機関士にとって命懸けとも言える峠でした。急勾配とトンネルが続くだけ、なんて甘く見てはいけません。昔は蒸気機関車ですから、急勾配ではその排煙がすごいことになります。そしてそれに加えてトンネルを通るわけですから、トンネル内に煙が充満し、その煙を機関士は吸わされることになるのです。その状況下で、急勾配を走るために大量の石炭を機関車の火室のなかに入れ続けなければならないのですから、ものすごく過酷な峠越えだったことでしょう。石炭を燃やす上でトンネル内の環境は温度摂氏50度、湿度100%というとんでもない環境だったようです。その上、仮に石炭を入れる手を止めてしまったら、列車も煙で満たされたトンネルで止まることになり、窒息死しかねません。

事実、この問題は非常に深刻でした。機関士の急性熱中症や窒息による死亡事故も実際起こっていますし、労働争議にも発展、1948年にはその争議の委員長が抗議の遺書を残して自殺しています。1951年には急行「まりも号」が意図的に脱線させられた事件もあり、この労働争議に関連するものと考えられていますが、結局犯人の特定はできず、未解決事件となっています。

その後、狩勝峠のあまりの過酷さから、勾配を緩和した新線が建設され、旧線は廃止となりました。新線になって狩勝峠越えはだいぶ楽になりましたが、それでも厳しい峠であることには変わりありません。

ちなみに、旧線から見られる車窓は非常に美しく、日本三大車窓の一つに数えられていたという事実もあります。

引用元:Google社 Googleマップ

列車は落合駅を発車し、狩勝峠を越えていきます。

まずは長いトンネル。5790メートルの長さを誇る新狩勝トンネルです。「新」のつかない「狩勝トンネル」が、旧線のトンネルの名称です。この新狩勝トンネルの中にある上落合(かみおちあい)信号場で、石勝線と合流します。

トンネルを抜けると、見晴らしがよく、狩勝峠らしいダイナミックな車窓が広がります。本当に美しいです。

狩勝峠のS字カーブをまわっていきます。

落合駅の次の駅、新得(しんとく)駅までは、狩勝峠を越えるためになんと28.1kmもあります。

12時46分、新得駅に到着。峠を越えた後は、新得でゆっくりすることはなく、すぐに発車してしまいます。ここで長時間止まってくれれば、名物の新得そばを食べられるのですがね。

ここまで3時間以上列車に揺られてきましたが、まだ終着・釧路までは4時間以上あります。まだ半分も来ていません。それでも、列車のボックスシートに身を委ね、美しい車窓を眺めながら、そして停車時間には外に出てリフレッシュできる。非常にのんびりとした贅沢な時間です。

十勝平野を快走

新得を出ると、列車は再び国道38号線に合流し、国道に沿って走ります。

街中でも、遠くの雪山が美しいです。綺麗で広々とした街並みとそれを取り囲む大自然が、北海道の真骨頂に感じます。

13時08分、小さなホームと待合室だけの無人駅、羽帯(はおび)駅に到着します。このような小さな駅にも、律儀に止まっていきます。

13時16分、御影(みかげ)駅。羽帯は例外ですが、この周辺の駅、十勝清水(とかちしみず)・御影・芽室(めむろ)駅などはしっかり街中にあり、利用客も多い駅です。列車もだんだん混んできました。1両ではなく2両編成なのは、この辺りの需要を受けてなのでしょう。

上芽室信号場でも、列車行き合いのため数分間止まります。駅ではないところでも列車行き合いのために停車する。鈍行列車の旅はやっぱりこうでなくちゃ。

気づけば車内はかなり混んでいました。学生も多く乗っており、デッキ付近で学生グループが座り込んでいたりします。結構北海道の学生はデッキに座り込むことが多いように感じるのは、乗車時間が長いので立っての移動がきつい、という背景もあるのかもしれません。私はこういう光景は、ローカル線らしくて好きです。

列車はなぜか帯広貨物駅で停車。ここには帯広運転所があり、ここまで乗務してきた運転士さんをここで下ろすためにとまるのだそうです。しかし、JR貨物の「帯広貨物駅」の駅名標。隣駅が釧路と札幌とは、スケールの大きさがすごいですね。

列車はついに、朝に滝川駅を出てから初めて見る大都会に入りました。帯広(おびひろ)市街です。線路も高架橋の上を走り、今までの線路とは一線を画す趣です。

14時10分、北海道第5の都市、帯広駅に到着です。発車は14時23分。たった13分の停車ですが、ここから先はほとんど食料・飲料の調達ができないので、貴重な13分です。急いで買い出しをしましょう。

思い返せば、この帯広駅の前に食料調達ができたのは11時の富良野駅。あれからもう3時間も経っています。富良野駅で買える食料はかなり限られていましたが、ここは大都市。駅弁だって売られています。

ホームも高架橋の上。久々に見る大都会の雰囲気は、少し安心感がありますね。

帯広を出て、再び十勝平野を東に向けて走ります。

雄大な十勝平野。非力と言われるこのキハ40系車両も、ディーゼルエンジン音を高らかに、軽やかに走っていきます。まさに北海道。気持ちがいいです。

14時34分到着の稲士別(いなしべつ)駅は、板張りのホームと古くて怪しい待合室がある駅。国道38号線沿いですが、ほとんど利用客のいない駅です。

14時40分、幕別(まくべつ)駅に到着します。ここでも6分停車し、対向列車と行き合います。幕別町はパークゴルフ発祥の地。立派な街並みが広がります。

この辺り、札内駅や幕別駅はかなり乗降の多い駅で、いつの間にか学生はほとんど降りてしまっていました。先ほどまで混雑していた車内も、余裕が出てきています。

いなしべつ、まくべつ、としべつ。べつべつ言っていますが、「べつ」はアイヌ語で「川」を意味する「ペツ」に由来する地名。北海道では「〜べつ」という地名はかなり多いです。

幕別を出ても、十勝平野は終わりません。広大な大地をひたすら東に走ります。

ワインで有名な池田(いけだ)駅到着は14時58分。比較的大きな駅ですが長居せずに、すぐに発車します。池田駅まで来ると、再び山が近くなってきます。

山間を抜けて太平洋へ

15時08分、十弗(とおふつ)駅。古い木造駅舎よりも目立つのが、ホームに立っている巨大な10ドル紙幣の看板。「十弗は10$駅」と書かれています。十弗の字が10$に見える、ということです。確かに言われれば、っていう感じですかね。

短いホームに駅名標。常豊駅に到着??と思ったらここは駅ではなく常豊(つねとよ)信号場でした。駅ではないのに、ホームと駅名板まで立っている謎の信号場です。この謎の信号場で列車はしばらく止まり、対向列車を待地ます。

隣の駅名は浦幌駅と上厚内駅になっていますが、当然ながら浦幌駅も上厚内駅も隣駅の表示が「つねとよ」になっていることはありません。ここは駅ではないからです。信号場なのに、なぜ駅名板があるのかはわかりません。この常豊信号場に駅名板があるのは国鉄時代からのことで、国鉄分割民営化に伴って国鉄からJR北海道に移管されたときに、わざわざ新しいJR北海道の駅名板に取り替えられたようです。JR北海道の遊び心でしょうか。

16時06分、厚内(あつない)駅に到着です。赤い屋根の大きな駅舎が目をひきます。もうここまで来ると、太平洋はすぐそこです。

厚内駅を出るとまもなく、車窓に広がる太平洋。

16時15分、ここは直別(ちょくべつ)駅です。この付近にはキナシベツ湿原が広がります。直別にキナシベツ。またもやべつべつ言ってますが、この直別駅の次は尺別(しゃくべつ)駅、その次は音別(おんべつ)駅と、また「別」の付く駅が3駅並びます。

16時36分、古瀬(ふるせ)駅に到着します。ここで5分ほどとまり、対向列車を待ちます。

古瀬駅は山の中で、駅前の道路は舗装すらされていません。駅でありながら、到達が難しい「秘境駅」の1つにも数えられています。

反対側のホームはあんなに遠くに。そしてこの駅がいかに山の中にあるか、その立地がお分かりいただけるでしょう。

しかし発車時刻になっても、まだ対向列車が来ません。少し遅れているようです。これに伴いこの列車の古瀬発車も遅れるようです。

無音の山中に列車のディーゼルエンジン音だけが響きます。

気づけば日も傾いてきていました。1日の終わりとともに、普通列車2429Dの旅も終わりが近づきます。

古瀬駅を発車し、列車は再び釧路に向けて走り出します。

17時03分、庶路(しょろ)駅。釧路の街はすぐそこです。

ついに釧路の街へ

17時14分、大楽毛(おたのしけ)駅に到着です。大楽毛は、もう釧路空港よりも釧路駅に近い場所。釧路空港から釧路駅へ向かう連絡バスも通る駅です。もう釧路駅は目前ですが、列車行き合いのためここで11分の停車。発車は17時25分です。

眩しい夕日です。

朝から走ってきた列車を、夕日が照らします。1日の終わりと旅の終わりが近づくと、名残惜しさも感じてしまいますね。

対向列車がやってきて、この列車もついに発車します。

車窓も薄暗くなってきました。

気づけばお客さんはかなり少なくなっていました。太平洋を向こうに眺めながらラストスパートです。

釧路駅に到着

17時39分。滝川駅を今朝9時37分に出発してから8時間2分。ついに終着・釧路駅に到着します。

そして驚くのはこれです。滝川駅からの運賃は5560円。この運賃表が、これまで長距離走ってきたことを物語ります。

釧路駅のホームに降り立ちます。滝川から8時間、長いはずなのに、決して退屈さはありませんでした。区間ごとの客層の変化も面白く、列車の待ち合わせのため長い停車時間が確保されていた駅では、ホームに降り立って深呼吸。そして何と言ってもフカフカのボックスシートに座りながら雄大な車窓を眺められたこと、先を急ぐ特急列車にはない味わいだと思います。こんな鈍行列車の旅は、なかなか味わえるものではありません。

普通列車2429Dの旅は、どんなクルーズトレインでも、バスツアーでも、経験することのできない「旅の喜び」が味わえるものだったと思います。思い返せば、私が北海道の「鉄道旅」の楽しさにハマったのも、この時の2429Dがきっかけでした。

この2429Dがなければ、「ばやしの北海道紀行」はなかったかもしれません。

そんな2429Dでの旅、残念ながら線路被災と、それに伴う富良野〜新得間の路線廃止によりもう経験できませんが、この列車の魅力を、鉄道旅の楽しさを、少しでもみなさんに共有できたのなら幸いです。

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