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ノスタルジックな青函夜行 急行はまなす乗車記

鉄道・航空・バス

かつて、急行「はまなす」という夜行列車が青森から青函トンネルを潜って函館、東室蘭経由で札幌まで走っていました。今回はそんな急行はまなす号の旅路についてです。

北海道新幹線が開業する前は、青函トンネルには在来線の特急列車が走っていました。そして夜行列車も走っていたのです。その一つが「はまなす」号でした。古ぼけた車両で、時代に取り残されたような列車でしたが、青森駅を出るのが夜10時過ぎで、札幌駅に着くのが翌朝6時。本州から北海道に行く際に、意外と便利な時間に走っていたのです。

はまなす号は、「旅情」という言葉の意味を教えてくれるような列車でした。全く豪華さのない無機質な夜行列車に乗って、古びた青森駅から深夜の海峡を越え、北海道の大地へ連れて行ってくれるのです。なんともロマン溢れる響きではないですか。こんな体験、今はもうできませんが、2016年まで体験できたことが不思議であるくらい、昭和の雰囲気と情緒満載の旅でした。

夜の青森駅

旅の始まりは青森駅です。時刻はすでに20時を回ったころ、この駅に到着しました。

「車内販売はございません。」そりゃそうでしょう。こんな列車に車内販売などあったら驚きです。

一見、「夜行列車」というと「寝台車」をイメージしませんか。私は寝台車を取りましたが、実はこの列車、普通の椅子の車両(座席車)もあるのです。しかもそちらの方が席数がずっと多く、寝台で寝られる乗客はむしろ少数派です。

車内販売がないですから、乗車前の腹拵えは必須です。青森駅にある「つがる路」でホタテ料理をいただきます。青森ですから、リンゴジュースも飲んでおきたいところです。夜行列車に乗る時って、こういった出発前の何気ないシーンが楽しかったりもしますよね。「夜通し移動する」という感覚は、私のような現代人にとっては新鮮で、結構ワクワクします。

急行「はまなす」には以前にも乗ったことはあったのですが、今回は急行「はまなす」の引退前にもう一度乗りたいと思い、廃止直前の乗車になります。と言ってもあまりに直前だと、変な大会に巻き込まれそうで怖いので2週間前くらいにはなりますが。きっぷは乗車日の1週間前くらいに通学途中の駅で買い求めましたが、寝台車の下段はすでにいっぱいで、上段のきっぷになりました。その上段の寝台も残り1つ。やっぱり混むんですね。

もうすぐ引退のはまなす号。メッセージボードまでありました。みんなの思い出が書かれています。

ディスプレイでもはまなす号の引退を惜しむビデオが。愛されていますね。

ホームにて

ついに「はまなす」号と対面です。夜の青森駅に青い車体が映えます。くすんだ空色の汽車に見えます。

一番端の1号車が今晩の宿です。スハネフ14-551になります。その先の赤い車両が機関車で、後ろの10両の客車を引っ張っていきます。そのため客が乗り込む車両に動力はついていませんが、一部の車両には客室内の照明や暖房に使用する電力を生み出すためのディーゼル発電機が床下に備え付けられています。1号車は、3両ある寝台車の中で唯一この給電エンジンがついている車両です。

そして本当にこの給電エンジンが爆音なのです。この煩さは当然の如く以前に問題となっており、後に登場した24系客車は給電エンジンを客室の床下に設置するのではなく、大型の発電機を備えた専用車両(電源車)を編成の一番端に連結し、客室と完全に分離するという策をとっています。2015年まで走っていた寝台特急「北斗星」などももちろんこの方式です。

ただこの14系客車はそんなことありません。客室の真下だろうとお構いなしに爆音を響かせます。給電エンジンが付いている車両は、この日の場合寝台車の1号車、指定席車の3、7号車、自由席車の9号車の4両です。

発車までまだ時間があるので、すぐに乗り込まずに少しホームを歩いてみることにしました。

こちらが最後尾の車両です。3両の寝台車は前寄りの1号車、増21号車、2号車に固まっており、後ろの3号車から9号車は全て座席車です。座席車の中では8・9号車が自由席で、3〜7号車が指定席となっていますが、その中でも3・7号車は普通の指定席、5・6号車はかつてのグリーン車の座席を転用し、快適性を増した「ドリームカー」、そしてさらに4号車はカーペットの上で横になって一夜を過ごせる「カーペットカー」です。それでも3〜7号車は全て指定席扱いなので料金は同じ、当然のことながら「カーペットカー」はいつも発売と同時に売り切れるほどの人気だったようです。

また「増21号車」は知らないと気になりますよね。寝台車は通常は1号車、2号車の2両なのですが、多客期は3両に増結されます。その際には1号車と2号車の間にもう1両連結され、増21号車という特殊な号車番号がふられるのです。かつてのJR北海道では道内の特急列車でも増21号車や増22号車という表記が見られたようですが、最近はほとんど見ません。

車体はかなりくたびれています。ただでさえ博物館にあってもおかしくないくらい古いのに、北海道の厳しい気候と青函トンネル内の塩分濃度の高い過酷な環境を走り続けてきたことを思えば、無理もありません。この程度の劣化に抑えることだって努力のいることと思います。

今宵の宿

さて、今日の宿である1号車に戻ります。

青森ベイブリッジと「はまなす」号。いいですね。

夜汽車の行き先表示はどこか風情があります。

響き渡る給電エンジン音を聞きながら、1号車に乗り込むことにします。

車内はこんな感じ。こちらは下段寝台です。下段寝台は満席だったので、これからここにもお客さんが来ることでしょう。

私のベッドは梯子を登った上段寝台。秘密基地感があり、なかなかいいものです。ここの座席番号は「1号車13番上段」。わかる方がどのくらいいるのかわかりませんが給電エンジンの真上に当たる席です。これでも下段よりはマシなのかもしれませんが、音だけでなく最早バイブ付きのベッドです。耳を下にして寝てはいけません。仰向けで寝ましょう。

通路を歩くと、同じ1号車でもエンジン音の聞こえ方にはかなり差があります。増結21号車寄りの1番・2番寝台あたりだと、音はほとんど気にならないのではないでしょうか。それに反してここは一晩中爆音の玄人用寝台ですね。でもこう言ったところも、昭和の夜汽車旅を追体験できる貴重な要素なのです。音がうるさいのは、むしろプラスポイントです。

やがて下段寝台の方もやってきて、軽く挨拶を交わします。こんなことも夜汽車の醍醐味です。

青函トンネルを潜って

なんだか大きな揺れがあったと思ったら、列車はすでに発車していました。このエンジン音は発車の瞬間すらかき消してしまうのですね。そしてもう一つ、この車両は機関車の真後ろの車両なので発車時の衝撃が少ないということも挙げられるかもしれません。機関車から遠い車両だと、発車時にガクン!と衝撃が来ることがありますからね。このガクン!の衝撃が少ないほど、上手な運転手さんと言われています。もちろん、客車列車の話ですよ。最近の電車はどんな運転手さんでもスムーズに発車できます。

闇の中をゆっくり進んでいきます。まだベッドメイキングはせずに、検察を待つことにしました。検察が終わると、車掌さんが車内の電気を暗くしてくれます。また深夜時間帯でも座席車両には車内放送が入るのですが、寝台車には入りません。そう言った点の気遣いはしっかりしてくれます。寝台車に放送が入るのは翌朝の南千歳到着時からです。

「ピーッ」という機関車の甲高い汽笛とともに、青函トンネルに入ります。青函トンネルの前にもいくつかトンネルがあるのですが、青函トンネルは反響の仕方が違い、少し走行音の質が変わるんですよね。これはエンジン音が響く中でもわかります。深夜、寝台車で津軽海峡の海底部を走っているなんて旅情しかありません。

車内が暗くなっても寝台には読書灯があるので心配いりません。寝ようとも起きようともせず、のんびり過ごしましょう。

青函トンネルを抜け、いよいよ北海道に入ります。美しい北海道の地も、外は真っ暗。それでもこれから夜が明けて景色が見えるようになるのが楽しみ、という感じがするのは、夜汽車特有のものでしょう。

深夜の函館駅

もう少しで函館駅に到着するので、寝台から通路へ出てみましょう。音を立てないようにデッキへ向かいますが、やはり起きている人も多いようです。

通路も照明が暗くなっていますが、目が慣れているのでそこまでの暗さは感じません。特に写真にすると暗くなっているのかよくわかりませんね。

函館駅の到着は0時44分。発車は1時23分です。40分ほど時間があるので、乗客は思い思いに過ごします。ホームに出て写真を撮る人、喫煙所にタバコを吸いに行く人、自販機で飲み物を求める人などがいます。

しかしホームに降りた時の最初の感想は「世の中ってこんなに静かだったんだ」でしたね。ずーっと給電エンジンの爆音を聞かされていましたから。給電エンジンの爆音こそ旅情だ!と豪語していたこの私も、エンジンのない寝台車の前を通った際に羨ましさを感じてしまったのは内緒です。私はまだ物好きだからいいですが、一般の方が知らずにこんな車両のこんな寝台を指定したら大変ですよね。高い寝台料金を払っているのに、文句が出そうなレベルです。

この函館駅の停車時間で、特に人気なのが機関車の付け替え作業です。このはまなす号、ここ函館で進行方向を変え、機関車も青函トンネル用の電気機関車から北海道内のディーゼル機関車に付け替えられます。

青函トンネルの中を引っ張ってきてくれた電気機関車ED79型も、ここでお別れ。無事に解結が終わったようです。代わりに反対側に・・・

ディーゼル機関車DD51型がくっつき、今度は彼が札幌まで引っ張って行ってくれます。

深夜のホームの雰囲気もいいですが、ぜひ見てみたい場所が改札にあります。

これです。上下の「はまなす」号が電光掲示板に並びます。こんな時間でも駅員さんがいてくれています。広告は北海道新幹線開業一色です。

ホームに戻りましょう。

函館を出て闇の中を走る

左の白帯の車両が私の宿、1号車(スハネフ14-551)です。他の寝台車である増結21号車、2号車は金色の帯ですが、これはこれらの車両がまれに寝台特急「北斗星」に入ることがあるためです。それに対して1号車のスハネフ14型は、白い帯が示すように急行「はまなす」号専属。また予備車両がないため、毎晩のように急行「はまなす」で仕事をし続けてきた車両です。それだけに貫禄も感じますね。

そんなスハネフ14型が今度は最後尾になって、札幌へ向かいます。

函館を出ると、次にとまるのは3時7分の長万部(おしゃまんべ)、その次が4時15分の東室蘭(ひがしむろらん)、そして5時1分の苫小牧(とまこまい)にとまり、寝台車にも車内放送が入り始めるのは南千歳(みなみちとせ)到着前です。それまでは駅に停車することはあっても、寝台車は車内放送も入らず減灯もされた就寝モードです。時間も時間ですし、車窓も真っ暗なので流石に通路で窓の外を眺める人はいなく、各々がカーテンを閉めて就寝しています。私も静かに浴衣に着替え、寝台で寝ていくことにします。

ずっと寝ているのか寝ていないのかわからないような感覚で、北の大地を走っていきます。寝台車はあまり眠れないものですが、少し眠れないくらいが夜行列車の旅としてちょうどいいです。走行音(と爆音エンジン)を聞きながら、軽やかな列車の揺れとともにうとうとするのが何と言っても至福ですね。

札幌駅に到着

南千歳到着前に車内の明かりがつき、「おはようございます」という放送が入ります。「今日は何月何日、ただいまの時刻は・・・、列車は時刻通りに運転しております」という言い回しがいかにも夜行列車です。

さて、南千歳ではホームの長さが短いため、編成最後尾の1号車(つまりこの車両)は停車時にホームにかからず、ドアは開かないとのことです。車掌さんが通路を通り、この車両のドアが開かないよう操作をしていました。南千歳の後も、千歳、新札幌ととまりますが、いずれもホームの長さの関係で1号車のドアは開きません。そんな堂々たる10両の列車に乗っていることが誇らしく思えます。

列車は定刻の6時7分、青森から8時間弱。すっかり明るくなった札幌駅のホームに滑り込みます。

一晩ありがとう!名残惜しいですが下車しなければなりません。

近代的な電車やディーゼルカーが並ぶ中、昭和の趣あふれる青い客車は明らかに異彩を放ちます。少しすると苗穂運転所へ回送されていきました。日中は休んで、また今晩札幌発青森行き「はまなす」として仕事をするのでしょう。

長旅を終えてきた感覚でも、不思議とこれは1日の始まりです。まだ人も多くはない朝の札幌駅。各方面への始発の特急列車が出始める時刻です。

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