函館は、個人的には「北海道で最も面白い街」の一つだと思っています。
もちろん、函館は世界的にも評価の高い観光地ですが、見どころが中心部に密集していて、ものすごく観光しやすい街であるために一瞬で観光が終わってしまい、「函館はつまらない」「函館は何もない」という評価をされることも少なくないようです。街がコンパクトで見所を観光することが本当に容易なので、初心者に最もおすすめできる観光地であるわけですが、「これとこれとこれを見ればOK」みたいな函館観光の仕方をしていると、本当に短時間で終わってしまうのも事実でしょう。そしてそれらの観光地のつながりも歴史もわからず観光していれば、「つまらない」と思ってしまうのも無理はありません。
私も、函館の主要観光地である赤レンガ倉庫・はこだて明治館・八幡坂・教会群・青函連絡船摩周丸・函館朝市・五稜郭公園と箱館奉行所・五稜郭タワー・湯の川温泉・函館市熱帯植物園・函館山と、プラス北洋資料館・函館市美術館くらいを、全て1日で回ったことすらあります。流石にこれは極端な例ですが、やろうと思えばできてしまうくらい、函館は観光が楽なのです。詳しくは以下の記事にまとめています。

でも私に言わせてみれば、狭い場所に観光地が密集しており、それだけ名所が多い、そしてそれぞれの関連も深いということなのです。函館ほど面白い街はありません。知れば知るほど面白い街です。私だって函館旅行をした回数はすでに2桁を超えていますが、いまだに「これまで知らなかった函館の姿」を発見することもしばしばです。何度行っても飽きないどころか、色々な場所を見て、知識をつけていくと、どんどん魅力にハマっていくような場所でもあるのです。
実際、函館を観光するとそういう人に出会うこともたくさんあります。タクシーの運転手さんとか、人力車の人とか、函館の魅力に魅せられ、それを職業として活かしている人が本当にたくさんいます。何度も旅行しているとよくわかります。
それだけ魅力の多い函館なので本記事で函館の魅力を全部お伝えすることはできませんし、するつもりもありません。この記事では、函館を「つまらない」と勘違いしないために、観光する上で最低限知っておいてほしい「函館の肝」をサラッと紹介します。この記事を読んでから函館観光をすると、知識がつながって、面白さに気づける、そんな記事を目指したいと思います。何も知らなかったら素通りしてしまうようなものや、ただ写真を撮って終わってしまうようなものを、「しっかり理解できる」「感動できる」ようにしていき、「函館ってこんなに面白かったんだ!」につなげられたらいいな、と思っています。
「港から入ってきた外国文化」が函館の肝
函館を一言で語るなら、「港から入ってきた西洋文化」や「西洋文化との日本文化の融合」となるでしょう。函館は、1854年の日米和親条約で、静岡の下田とともに真っ先に開港された場所です。その後の1858年の日米修好通商条約で、本格的に貿易港として開港し、以来西洋や中国文化が真っ先に入ってくる場所になったのです。
そんな「港から入ってきた西洋文化」が、函館を語る上でほとんど全てに通じる柱となっているのです。色々な観光地で、この西洋文化や港の影響を感じることができます。そこから函館という街の一貫性と、それぞれの場所のつながりを感じられたりすると、函館の面白さに気づくはずです。ざっくりご紹介しましょう。
港からのキリスト教の流入

まずわかりやすい場所から行きましょう。まずは港からキリスト教が入ってきたことによる「元町エリアの教会群」。キリスト教の修道院も真っ先に函館にできました。「トラピスト修道院」「トラピスチヌ修道院」です。


港が近いことからできた各国の領事館

次に、港が近いために各国の領事館ができました。その建物が今でも一部残っています。「旧イギリス領事館」「旧ロシア領事館」が有名ですね。前者は普通に観光地として、後者はホテルとして生まれ変わっています。
西洋文化の影響を受けた西洋建築

港から入ってきた西洋文化の影響を受けた、西洋建築も多いです。「赤レンガ倉庫」「はこだて明治館」のほか、元町エリアには特に西洋建築や和洋折衷の建築物が多いです。



函館ならではのグルメも外国文化の影響を

函館の有名な洋食店、「五島軒」も、洋食店というところから西洋文化の影響を受けたのだな、ということは容易に想像がつきます。実際、五島軒のルーツは、港にやってくる外国船にパンを販売する事業から始まりました。
函館の有名なハンバーガー屋さん、「ラッキーピエロ」も、港からの外国の影響を受けて誕生したお店です。ラッキーピエロの創業者は中国にルーツがある方で、函館の港に中国から入ってきた食文化といえます。それを裏付けるように、ラッキーピエロの1番の人気メニューは「チャイニーズチキンバーガー」。思いっきりチャイニーズと名乗っており、中国からの文化が真っ先に入ってきた函館を感じさせるグルメなのです。
流石に函館の塩ラーメンは外国の影響は受けていないでしょう???と思ってしまいそうですが、函館の塩ラーメンの原型は、中国から入ってきた「中華スープ」です。だから函館の塩ラーメンは、中華スープの名残を受けて、スープが透明です。スープが透明でない塩ラーメンは、「函館塩ラーメン」とはあまり言いません。


有名な五稜郭も外国からの影響が

有名な五稜郭も、2つの意味で「港から入ってきた外国文化」と関係があります。一つは五稜郭の作り。詳しくは以下の記事に書いているので割愛しますが、五稜郭は西洋式のお城なのです。西洋文化の影響を受けて、日本式のお城ではなく、西洋式のお城を作ったところが、五稜郭が「港から入ってきた外国文化」からの影響を受けた点1つ目です。
2つ目は、そもそもなぜ五稜郭を作ろうと思ったかです。これ、外国からの防衛のためなんですよね。港があり、色々な船が近づく函館だからこそ、防御のために五稜郭が必要だったのです。これについても、以下の記事で詳しく解説しています。

そして、五稜郭があったからこそ・・・

そして、外国からの影響を受けてできた五稜郭があったからこそ、新撰組がここを拠点に選び、占拠して、皆さんのよく知る箱館戦争へとつながっていくのです。五稜郭は防御に適した形であったものの、箱館戦争では呆気なく陥落してしまうわけですが、この辺りも日本人が西洋式の城の扱いに慣れていなかったり、そのために必要な設備までコストカットしてしまったことも原因の一つと考えられています。

どうでしょうか
以上見てきて、どうでしょうか。函館の多くの観光地を、「港」「港から入ってきた外国文化」というたった1つの側面から語れてしまうのです。観光で訪れた場所の知識がひとつひとつつながって、「函館」という街に1本の軸がすっと通っていることに気づくと、どんどんその奥深さに惹かれていくはずです。
また、歴史や文化を学べる博物館、資料館も充実しています。「北方民族資料館」「市立函館博物館」などは、もっともっと歴史を知る上でおすすめです。
「函館区公会堂」や、五稜郭公園内の「箱館奉行所」などは、歴史的な建物でありながら、展示も素晴らしく、博物館のようにがっつり歴史を学べます。
また「港から入ってきた外国文化」からさらに拡張して、「漁港としての港」という側面にも注目してみると、函館の海の幸やその漁業文化も、同じように「港」というキーワードから語ることができますね。「函館朝市」で新鮮な海鮮丼を食べることもいいですし、漁業については「函館市北洋資料館」で学ぶのがおすすめです。
さらに「港」という言葉を本州とのアクセスの良さ、という側面にも拡張してみると、青函連絡船や、松前藩の歴史も「港」というキーワードで語れそうです。
そしてこの記事で紹介した函館の観光地と「港」「西洋文化」というキーワードによる歴史的つながりは、ほんの一部です。もっとニッチな観光地にも拡張してみれば、実際には書ききれないほどあります。例えば一見、港とは全く関係のない場所に思える立待岬(たちまちみさき)は、あの五稜郭と深い関わりがあります。また、有名な赤レンガ倉庫だけでなく、函館市内にたくさんあるレンガの建物を見ても、西洋文化の影響と切り離せません。イギリスの積み方、フランスの積み方だけでなく、日本製のレンガ、中国製のレンガ等が函館の街中に混在しており、用途によって使い分けるなんてこともしています。こんな感じでどんどん書いたら止まらないので、もうこれ以上書くのはやめておきます。こんなところの歴史的つながりが、函館の奥深さなのです。少しは函館の面白さの一端が伝わりましたかね。

