土方歳三最期の地碑:謎多き土方歳三の死、そしてこの碑について解説!

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戊辰戦争と土方歳三

日本人であれば土方歳三を知っている人がほとんどでしょうが、当時の時代背景・歴史と土方歳三についてはじめに簡潔に記します。

1868年から1869年にかけて起きた、旧幕府軍と新政府軍の衝突が戊辰(ぼしん)戦争です。この戦いに新政府軍が勝利したことで、新政府(明治政府)の形が出来上がります。

戊辰戦争は京都の鳥羽・伏見から始まりました(鳥羽・伏見の戦い)。その後の戦争の経過としては、江戸城の無血開城、東北戦争、会津戦争、箱館戦争とつながっていきます。最後の箱館戦争で、追い込まれた旧幕府軍が最後に力尽きることとなるわけです。

その箱館戦争で、旧幕府軍の指揮をとっていたのが新撰組副長・土方歳三です。土方歳三の戦死のわずか7日後に旧幕府軍は降伏、戊辰戦争は終了します。

土方歳三の戦死

蝦夷地まで追い込まれた旧幕府軍でしたが、土方歳三の指揮官としての腕前は相当なものであり、新政府軍を相手に善戦していました。しかし1869年5月11日、わずかな兵を率いて友軍を助けに出陣した土方は、銃弾を腹部に受け戦死します。

この戦死についてははっきりしないことも多く、まずその銃弾が味方からの銃撃だったという説(流れ弾が当たってしまったというわけではなく、仲間の裏切りにより銃撃されたということ)や、事故死だったという説、はたまた実は戦死しておらず、国外逃亡したという説まであります。遺体も埋葬地もわからない土方の死は謎だらけであるのも事実です。

しかしやはり箱館戦争で戦死した説が最も有力であることは間違いなく、その戦死場所には主に2つの説があります。一つはかつての異国橋付近。現在は堀割が埋め立てられており異国橋は存在しませんが、現在の十字街付近になります。函館市電の電停に「十字街駅」がありますよね。そのあたりです。

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この記事を書いた人

道外出身・道外在住大学生。
小学生のころから北海道の魅力にとりつかれ、北海道旅行回数は30回超。
詳しくは「ご挨拶」ページを参照。
2024年5月25日Xアカウント開設。

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