函館は、街歩きをしていて本当に面白い町です。
なにしろ北海道で最も早く開拓され、発展した場所がここ函館。江戸時代、当時鎖国をしていた日本で真っ先に開港し、外国からの文化が入ってきたまちがここ函館。和人の松前藩の痕跡も、アイヌの痕跡も見られるまちが函館です。
街はコンパクトでありながら観光名所は山ほどあり、非常に観光しやすく、何度来ても飽きない町です。私だって10回くらいは旅行に来ている町です。
そんな函館ですが、輝かしい歴史ばかりではありません。函館の街が、(主に明治〜昭和にかけて)ずっと苦しめられてきたことがあります。「大火」(要するに火事)です。
風が強い函館の街
先述のように、函館は古くから栄えてきた街です。誰もいない場所だったらまだしも、昔から人口密集地だったのです。そして、函館の地形を見てもらえればわかりますが、函館は海の上に飛び出た形(地理の言葉では「トンボロ」地形です)になっています。津軽海峡を吹き抜ける風の影響をもろに受けてしまうのです。
人口密集地で、強風の街。一度火災が起これば、燃え広がってしまいやすい地形なのです。

有名な函館の夜景は、まさにそんな函館の地形を手に取るように見られる場所。確かに印象的で、一度見たら忘れられない美しい夜景ですが、この美しい地形は、強風を作り出し大火をいくつも産んできた、という負の側面もあるのです。
明治〜昭和初期まで25件の大火
「函館大火」という言葉があります。「函館大火」は、特に断らない限り、昭和9年3月の大火を指します。この時も春の強風に吹かれ、市街地の3分の1ほどが焼失してしまうという甚大な被害を起こしています。
「函館大火」というとこの大火を指すわけですが、実はその前にも、明治時代からこの昭和9年の函館大火まで実に25件も大火が発生しています。確かに現在とは火災の起こりやすさなどは桁違いに異なり、現代の感覚と違うところはありますが、いかに函館が火災に苦しめられてきた街かがわかるでしょう。
しかし、幸いなことに、昭和9年の函館大火以降は、大火は発生していません。市街地の多くを失った函館は、火事に強い街に生まれ変わるべく、さまざまな対策が行われたのです。その対策が功を奏して、函館は火事に強い街に生まれ変わったのです。
街の随所に見られる函館の火事対策
函館の街を歩いていると、函館が火事に強い街になるべく取られている対策が見て取れます。
グリーンベルト

まずはこれ。函館はところどころ道路が広いです。そしてこれは、もちろん他の理由があるところもありますが、多くは火災の延焼対策です。さらなる延焼対策として、道路の中央に木が植えられているところもあります。こういうところが、函館の街を歩いているとここにもあそこにも。広い道路を作ることで、そして木を植えることで、火災が発生してしまっても燃え広がらないように工夫されているのです。

わかりやすいのがこちら。函館の街の中に、十時に細長く緑地帯(公園)が形成されていますね。火災の延焼を防ぐためのグリーンベルトです。このラインを超えて、火が燃え移らないように工夫されているというわけですね。
ところで、こんなグリーンベルトに、似た風景をどこかで見たことがありませんか?
そうです、札幌の大通公園です。大通公園も、火災の延焼を防ぐための火防線として設けられたのですが、それは函館の成果があってからのものです。函館でグリーンベルトを作り、確かにこれは火災の延焼防止に効果がある!となったため、札幌でも採用されたということです。函館ではただところどころにグリーンベルトを設けているだけですが、札幌では大通公園(グリーンベルト)の北側が官公庁、南側が商業地と明確に区分されており、商業地の火災から官公庁を守る、というより戦略的なグリーンベルトの作り方になっています。
学校
学校は、地域のみんなが通いやすいよう、街の中心に置くのが普通です。しかし函館はというと・・・・
学校が町外れにあるのです。実はこれもかつての大火対策の名残です。これはなぜかというと、避難所の役目を果たすためなんですよね。学校が街の中心にあると、火事で燃えやすいわけなので、燃えにくい町外れに学校を配置し、子どもの命を守り、さらに火災の時の避難場所としても使えるようにつくられているのです。場所は歴代の大火で燃えなかった場所が選ばれています。
確かに安全ですが、坂の多い函館の町、子どもにとっては通うのが大変そうですね。特に、函館山の麓にある坂の上は大火でも燃え残った場所が多いので、こういった場所にある学校も多いです。登校するときは坂を登り、下校するときは坂を下る。まさに「学校坂道」ですね。
消火栓
最後の火事対策として紹介するのが消火栓。函館の街にはあらゆる場所に「黄色い消火栓」が設置されており、万が一火災が発生した際にすぐに消火できる体制を構築しています。

非常にレトロな消火栓ですが、これはかつての消火栓の名残ではなく、れっきとした現役の消火栓です。水が出る場所は、手前、右(道路側)、奥の3箇所あります。手前と奥は大きな蛇口で、右は少し小さな蛇口です。さすが西洋文化が真っ先に入ってきた函館、口径の大きな方はアメリカの規格です。一方、アメリカの規格では日本の消防車がこの消火栓を使うときに対応できません。そのため口径の小さな日本の規格の蛇口もついているのです。
この消火栓、函館の街におよそ2000本あります。鮮やかな黄色も、何もしないと錆びてしまい色が褪せてしまいますが、毎年およそ150本ずつ、20年周期ほどで塗り替えられています。皆さんも街を歩いて、消火栓の数を数えてみてください。何本見つけられるでしょうか。仮に1000本見つけたら、函館の街を半分くらい見られた、ということです。コンパクトで観光がしやすい函館の街ですが、実際はこんなに広いんだ!って絶望してしまいそうですね。
函館の街歩きで見えてくるもの
以上のように、函館の街にはかつて火災に苦しんだその名残が見られます。ハイカラな街で、名物グルメも多くて、景色も綺麗、観光もしやすい。まさにパーフェクト、キラキラな観光都市に思えてしまう函館ですが、実はそんな過去もあったのです。ぜひ楽しく街歩きをしながらも、道路幅、消火栓、学校の位置などに目を向けて、火災に強い街を作り上げた先人たちの偉大さを感じてみてください。先人たちが火災に強い函館の街を作らなかったら、赤レンガ倉庫も、はこだて明治館も、そのほかの歴史的建造物も、今はもう焼失してしまっていたかもしれないのです。先人たちが火災に強い函館を作り、こんなに美しい函館の建物や街並みを我々の時代に残してくれたことに、心から感謝です。

